おじさん世代向けHipHop入門講座(その④)80年代中期~ギャングスタ・ラップ始動

オッサンの主張

時代背景によって音楽が変化するのは当たり前のこと

『Run-D.M.C.の登場』~『Def Jam Recordingsの設立』~『MTV時代の到来』

アーティストもオーディエンスにとっても音楽環境は刻々と変化と進化を続けています

ギャングスタ・ラップ(Gangsta rap)が産声を上げる

ヒップホップカルチャー全体の歴史の中でも大きな意味を持ち、欠かすことの出来ないスタイル

『ギャングスタ・ラップ(Gangsta Rap)』

その特徴は、ストリートでの貧しい暮らしの中で現実として起きていた様々な社会的問題に対する見解を表現しているリリック

それぞれのアーティストの背景が垣間見え、多くの曲には強い感情・思いが込められている

後に「ギャングスター・ラップの創始者」と呼ばれるようになる

フィラデルフィアから現れたラッパー:スクーリー・D

1985年『ギャングスタ・ラップ』とみなされる最初の曲『PSK, What Does It Mean?』をリリース

書籍『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』を是非お読み頂きたい

ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで
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読みながらクローズアップされた楽曲が聴きたくなります

ギャングスタ・ラップ ディスクガイド──ヒット・定番 600曲・600枚 (ele-king books)
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ヒップホップ発祥の地をめぐっての抗争

事の発端となるのがクイーンズ出身のラッパーであるMCシャン『The Bridge』という楽曲をリリース
「クイーンズがヒップホップ発祥の地である」ともとれるような表現が含まれていた

MC Shan – The Bridge(1986)

これに対してサウス・ブロンクス出身のラッパーであるKRS・ワンが楽曲『South Bronx』で
「そんなラップサウスブロンクスに持ち込んだら生きて帰れると思うなよ」と反論して『ビーフ(注)』が発生

(注)『ビーフ』とは?
ヒップホップの世界では相手をけなし合う「ディスりあい」という意味
ラッパー同士が楽曲を通じてお互いを挑発し合いながらケンカをするという意味合いを持っている

Krs-One – South Bronx(1986)

これにMCシャンは『Kill That Noise』にて応戦

MC Shan – Kill That Noise(1987)

これにKRS・ワンは『The Bridge Is Over』でやり返す

BDP – The Bridge Is Over(1987)

この対立によって両地元のラジオ局(ブロンクスWBLS・クイーンズKISS-FM)は互いのグループの楽曲を放送禁止にするまでに及んだ

この両グループの対立は「ブリッジ・バトル」としてヒップホップ史にも大きく刻まれた出来事

このビーフによってアーティストが地元を主張するスタイルが定着したと言われてる

悲劇:スコット・ラ・ロックの死

BDP(Boogie Down Productions)を結成したKRS-ONEスコット・ラ・ロックは運命的な出会いをする

KRS‐ONEは16歳で家出をしてストリートで暮らすホームレス
ギャングがバックボーンの「ユナイテッド・アーツ」というグラフティー・クルーに加入~マリファナを運ぶ最中に捕まり服役
出所後のホームレス向けの更正施設でカウンセラーとして働いていたのがスコット・ラ・ロック

この出会いでBDPは結成された

1987年8月25日
BDPのDJとして活動していた Dナイス の彼女の元彼氏(薬の売人)とトラブルに巻き込まれ、BDPメンバーで争いを止める目的で元彼氏の地元に入ったところ スコット・ラ・ロックは銃弾に倒れ他界(この事件の殺人犯として検挙された人はいないらしい)

By All Means Necessary / Boogie Down Productions

スコット・ラ・ロックがこの世を去った後に発表されたBDPのセカンド・アルバム(ジャケットは有名なマルコムXのパロディ)ゴールド・ディスク獲得

『My Philosophy』はスタンリー・タレンタインの『Sister Sanctified』をサンプリング

【ストップ・ザ・バイオレンス運動(暴力廃絶運動)】

スコット・ラ・ロックの他界後、KRS-ONEは自らを “ザ・ティーチャー”と称し【ストップ・ザ・バイオレンス運動(暴力廃絶運動)】の発起人となり40都市の大学を回る講義ツアーを行った

1989年にオール・スターによるシングル『Self Dest-ruction』をリリース
チャックD、クール・モーディー、MCライト、Heavy Dなどなど参加
ナショナル・アーバン・リーグのために約40万ドルの寄付金を集めた

『ナショナル・アーバン・リーグ ( National Urban League)』
1910年ニューヨークに設立された黒人労働者階級を中心に人種差別撤廃を中心に市民権運動を行っているアメリカで最も古くから活動している組織

西海岸で初めてメジャー・デビューをはたしたラッパー

西海岸でヒップホップを発展させたカリスマでありギャングスタ・ラップの先駆者

ICE-T

ロサンゼルスには、2つのギャング集団が存在

「クリップス」=青色の衣服やバンダナを身にまとった青ギャング

「ブラッズ」=赤色の衣服を身にまとった赤ギャング(ICE-Tは「クリップス」のメンバーだった)

カラーズ/天使の消えた街 1998年

カラーズ/天使の消えた街 [DVD]
カラーズ/天使の消えた街

テーマ曲をIce-Tは任されることになる

こんな流れで西海岸のギャングスタ・ラップが大躍進します

世界で最も危険なグループ:N.W.A

1980年代中頃
ドクター・ドレDJイエラはクラブDJで名前も売れていていました
そこにギャング育ちのイージー・Eがつるむようになり
アイス・キューブそしてMCレンが加わり
N.W.Aが結成されました

1987年11月6日
プリオリティ・レコードからファースト・コンピレーション・アルバムをリリース

N.W.A and the Posse / N.W.A

1988年8月8日
N.W.Aのギャングスタ・ラップが爆発した「とんでもないアルバム」をリリース

Straight Outta Compton / N.W.A

アメリカでは彼らの暴力的な歌詞を真に受けた者も多く現れ社会問題に発展

代表曲『Fuk Da Police』はFBIから警告が届いたほど過激な歌詞

日本語版CDでは、歌詞は過激で放送コードに抵触したものが多く、対訳はもとより原詞も割愛されている

彼らにとっては日常のことをラップしただけなので「リアリティ・ラップ」と呼んでいました

ゲトーの黒人からは絶大な支持を得たのですが 当時の副大統領が「N.W.Aのラップは危険なので聴くな」とラジオで発表したこともあって、白人社会においては「ギャングス・ラップは危険でやばい」と悪いイメージになっていきました

ニューヨーク・ロングアイラン出身のパブリック・エネミー

パブリック・エネミー(Public Enemy)

1987年アルバム『Yo!Bum Rush the Show』でデビュー

ラジオで放送するには乱暴過ぎると言われたにも関わらず大ヒット

「ラップはブラック・アメリカンにとってのCNNだ」

ペアレンタル・アドヴァイザリー(Parental Advisory)

ペアレンタル・アドヴァイザリー(Parental Advisory)とは、アメリカ合衆国において、未成年者にふさわしくないと認定された音楽作品に全米レコード協会(RIAA)が添付する勧告

引用:Wikipedia

このステッカーは、1985年にペアレンツ・ミュージック・リソース・センターという市民団体の圧力により導入された検閲制度で、RIAAが、アメリカ国内で販売される“不適切な歌詞”(?)が使われていると判断された音楽CDに警告として貼られるもの

暴力的な言葉(いわゆるF-WORD)や性的描写や薬物などを扱ったとされる曲を、保護者が「子供に与えて良いかどうかの判断をするべき」と忠告している

このステッカーが貼られることによって、ヒップホップ系のCDでは「そんなにヤバい内容なのか?」という反応になってギャングスタ・ラップのPR(おすすめ)になって売上増につながった

そしてウォルマートなどもショッピングセンターでは

ギャングスタラップCDは買えないが、銃は買える

変な状態になった

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