LAそしてニューヨークのゲトーの現実の厳しさは、ギャングスタ・ラップによって表面化していきます
そしてギャングスタ・ラップはアメリカの他地域にも伝染していきます
セントラルパーク・ジョガー事件
1989 年4 月 19 日
米ニューヨークのセントラルパークをジョギング中だった銀行勤務の白人女性がレイプされ意識不明で発見された事件が起こる
この事件の容疑者として14歳から16歳の黒人やヒスパニックの少年たち5人組(セントラルパーク・ファイブ)が逮捕され7年から11年の実刑判決
この5人組の物語は広く知られるところとなり
警察の不正とアメリカ刑事司法制度の人種差別の最悪な例となりました
この事件をきっかけに
「ギャングス・ラップは厳しい現実を伝ているだけなのでは?」
というムードが広がっていきます
1989年6月4日
パブリック・エナミー(Public Enemy)が世界中に影響を与えることになる楽曲をリリースします
ニューオーリンズ
サザン・ヒップホップ(ダーティ・サウス)の元祖:マスター・P
1991年:ファースト・アルバム『Get Away Clean』リリース
LAサウンドに影響を受けた分かりやすいサビ&コールが特徴
Master P – Get Away Clean
マイアミ
ポルノ・ラップの先駆者:2Live Crew
1989年
下ネタ連発のラップでアルバム『As Nasty As They Wanna Be』が大ヒット
2Live Crewのメンバーは「猥褻罪」で逮捕されたこともあり、彼らのアルバム曲は猥褻物と見なして規制され、彼らのアルバムをレコード店で販売した店員は次々と検挙され逮捕された
しかし、こんな事件によって2Live Crewの知名度が上がり人気となった
1990年『Banned in the U.S.A.』をリリース
テキサス
Ghetto Boys(ゲットー・ボーイズ)
1981年にGhetto Boys(ゲットー・ボーイズ)として結成
1989年からリック・ルービンをプロデューサーに迎えアルバム『The Geto Boys’ Grip It! On That Other Level』をリリース
そこからメンバーの加入・脱退を何度も繰り返して
Scarface(スカーフェイス)Wille D(ウィリー・ディー)Bushwick Bill(ブッシュウィック・ビル)の3人の時がGeto Boysのベストメンバー
1991年にリリースされた超名盤『We Can’t Be Stopped』は伝説と語り継がれています
ブッシュウィックが彼女に拳銃で右目を撃たれて病院に担ぎ込まれた時の写真をアルバム・ジャケットに使用します
UGK
カントリー・ラップの先駆者:UGK
1992年:メジャーレーベルからデビュー・アルバム
『Too Hard to Swallow』をリリース
アトランタ
Kilo Ali – Cocaine
Raheem The Dream – “Freak No ‘Mo”
ギャングスタラップ初の全米1位アルバム
1989年
N.W.Aのメイン・ラッパーのアイス・キューブが、売上金の着服疑惑などメンバー同士の確執が生まれ脱退
1990年:ソロ・アルバム『AmeriKKKas Most Wanted』をリリース
1991年5月28日
N.W.Aがアルバム『Niggaz4Life』をリリース:ビルボード・アルバム・チャートで第1位を獲得
1992年
ドクター・ドレが脱退 ~ N.W.A解散
ベイエリアのラッパーが大ブレイク
Too $hort – The Ghetto
M.C. Hammer – U Can’t Touch This
M.C.Hammerは世界中にラップを広めた一人と言えるでしょう
Digital Underground – Same Song (feat. 2Pac)
おじさん世代に伝えたいこと
今まで誰も挑戦しなかった新しい行動を起こそうとすると、最初は多くの人が冷ややかな目で眺めてバカにします
しかし、その人物を追随する人が増えていくと今までマイナーだったことが一気にメジャーとなって一大ムーブメントになり多くの人を巻き込みます
「挑戦しないで馬鹿にする人」
「自分は踏み出す勇気もないくせに、勇気を持って踏み出した人を僻む」
そんな大人には成りたくないですね
コメント