おじさん世代向けHipHop入門講座(その⑨)多様化の1990年代後半

音楽

2Pacは何者かに射殺され、ビギー(The Notorious B.I.G.)も射殺された

最悪の形で幕を閉じた東西抗争

そんな中 いろんな地域でそれぞれのヒップホップが創造されていました

ドクター・ドレー(Dr. Dre)

ドクター・ドレーはシュグ・ナイトと決別して『Death Law Records』を脱退

『Aftermath(アフターマス)』という新しいレーベルを立ち上げます

1996年11月26日 名刺代わりとなるアルバム
『Dr.Dre Presents The Aftermath』をリリース

収録曲「East Coast, West Coast, Killas」には東海岸のKRS-One/Nas/Cypress Hill/B-Realらが参加

(西海岸とか、東海岸とかいう分類にこだわっていません)

シュグ・ナイトSuge KnightMarion “Suge” Knight

その強烈なキャラクター性でヒップホップ・ドリームを手に入れた

『Death Law Records』のCEO:シュグ・ナイト

共同設立者であったドクター・ドレーが『Death Raw Records』を抜けて以来、経営は傾き、シュグ・ナイト本人も破産申請してしまうなど、その勢いは見る影もない

2015年に映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』の撮影現場で、二人の男性を相手に轢き逃げ事件を起こしたシュグ・ナイトは殺人未遂と殺人容疑で逮捕されており現在も刑務所に収監されている

ショーン・パフィ・コムズ(Sean Puffy Combs)

1992年7月28日「アップタウン・レコード」から

メアリー・J. ブライジ(Mary Jane Blige)のデビュー・アルバム『What’s the 411?』がリリースされた

R&Bのサビとヒップホップ・ビートの融合で歌われるスタイルによって彼女は

クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウル

と呼ばれるほど大きな注目を浴びようになります

Mary j. Blige – Real Love

このアルバムのプロデューサーとして世界に名がしれるようになったのが

ショーン・パフィ・コムズ(以下「パフ・ダディ」と略す)

ヒップホップ東西抗争の東側陣営のボス的存在

1993年:パフ・ダディは自身のレーベル「Bad Boy Entertainment」を創設

アンダーグラウンドであったヒップホップを派手な衣装などでイケイケな世界観を放ちます


1997年「パフ・ダディ」というMCネームを名乗り

東西抗争で殺害されビギー(ノトーリアス・B.I.G.)の追悼曲として
「I’ll Be Missing You」をリリース

アルバム『No Way Out』は大ヒット
第40回グラミー賞最優秀ラップ・アルバム賞を受賞

パフ・ダディは、アメリカのエンターテーメント界で『最も成功した人物』の一人です

その後、マライア・キャリーやジェニファー・ロペスといった大物アーティストにヒップホップ感覚を注入していきます

各地のヒップホップ・シーンはますます熱くなっていきました

ヒューストン


「Chopped and Screwed(チョップド&スクリュード)」

ターンテーブルを使い原曲の回転数を下げ、半拍ずらしディレイのような効
果を生むDJの技法

DJ Screwがオリジネーター

「Chopped&Screwed」という手法は、現在人気を誇るラップソングに多くの影響を与えています

DJ Screw – My Mind Went Blank

DJ Screwの伝記映画『All Screwed Up』

DJ Screwの「Chopped&Screwed」という手法は、現在人気を誇るラップソングに多くの影響を与えています

スクリュード・アップ・クリック (Screwed Up Click)

DJ Screwが中心で90年代に結成された独特のコミュニティーを持っているヒューストンのヒップホップクルー

メンバーは E.S.G.、 リル・キキビッグ・ポーキービッグ・ホークなど
それぞれがスクリュードミュージックでキャリアを重ねていきます

メンフィス

スリー・6・マフィア(Three Six Mafia)

メンフィス出身の3人組(Juicy J/Juice Man, DJ Paul, Chunchy Black)

ドス黒いヴァイブ・シンセ音・スクリュード感あるサウンドや遅回しのフックなどが最高にドープ

ニューオーリンズ

「バウンズ」

ニューオーリンズの文化から生まれた音楽スタイルのひとつで、1980年代後半に街の住宅プロジェクトやバーで生まれた伝統的なもの
● 速いテンポ
● 跳ねるようなビート
● コール&レスポンス

「Twerking」

主に女性ダンサーが腰を落として突き出した臀部を音楽にに合わせて激しく揺らし震わせるダンスの一種

Juvenile – Back That Thang Up ft. Mannie Fresh, Lil Wayne

ヴァージニア

ニュージャックスウィングのパイオニアとして知られるプロデューサーTeddy Rileyがバージニアでタレント・オーディションを開催

そこで発掘されたファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)チャド・ヒューゴ(Chad Hugo)からなる伝説のプロデューサー・ユニット

The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)

N.O.R.E.をプロデュース

N.O.R.E. – Superthug

JAY-Zをプロデュース

JAY-Z – I Just Wanna Love U (Give It 2 Me)

ファレルとチャドもShay Haley(シェイ・ヘイリー)と共に3人組ヒップホップバンド

N.E.R.D.を結成

2001年1stアルバム『In Search of』をリリース

しかし発売して1ヶ月、打ち込み主体だったパートをSPYMOB(ミネアポリス出身の4人組ロック・バンド)による生演奏に変え

『イン・サーチ・オブ…(In Search Of…)』とし再度リリース

ティンバランド(Timbaland)

90年代後半から2000年代を代表するヒップホップ・R&Bプロデューサー

1998年11月24日リリースの1stアルバム
『Tim’s Bio: Life from da Bassment』でソロデビュー

2006年に自身によるレーベルであるモズレー・ミュージック・グループを設立

アリーヤAaliyah Dana Haughton)をプロデュース

Aaliyah – One In A Million(1996)

ミッシー・エリオット(Missy “Misdemeanor” Elliott)をプロデュース

デビューアルバム『Supa Dupa Fly』は全米アルバムチャート3位、R&Bアルバムチャート1位を記録

Missy Elliott – The Rain(1997)

ニューヨーク


1990年代後半
ラフ・ライダース(Rough Riders)専属プロデューサーの

スウィス・ビーツ(Swizz Beatz)

が多くのヒット曲を送り出します

DMX

1998年:1stアルバム 『It’s Dark And Hell Is Hot』をリリース
初登場で全米チャート1位を獲得

DMX – Get At Me Dog (Dirty)

各地のプロデューサーの活躍もあり、サンプリングに頼らずにオリジナル・サウンドを作ろうという風潮が広がっていきます(これには元ネタとなる楽曲の使用料の高騰や著作権といった問題も絡んでいました)

ローリン・ヒル(Lauryn Hill)

1994年:フージーズのアルバム『Blunted on Reality』でデビュー
1996年:2rdアルバム『The Score』が全世界で1700万枚の大ヒット
1997年:ボブ・マーリーの息子ローアン・マーリーと交際し妊娠~ソロ活動

1998年:ソロアルバム『ミスエデュケーション(The Miseducation of Lauryn Hill)』が大ヒット。

1999年:グラミー賞で「Album of the Year」「Best New Artist」「Best Female R&B Vocal Performance」「Best R&B Song」「Best R&B Album」の5部門を獲得

R&Bとヒップホップの完全なる融合アルバム
そんな流れの中

デトロイトから白人天才ラッパー:エミネムが現れドクター・ドレー(Dr. Dre)とタッグを組むことになります

2000年代に向けて新しいヒップホップ旋風の始まりです!

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