【R&B必聴盤】Billboard number-one R&B albums of 1965

R&B

The Supremes – Where Did Our Love Go

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Sam Cooke – Sam Cooke at the Copa

Bitly

Sam Cooke – Shake

Bitly

The Impressions – People Get Ready

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The Temptations -The Temptations Sing Smokey

Bitly

The Four Tops – Four Tops

Jr. Walker & The All Stars – Shotgun

Bitly

Ramsey Lewis Trio – The ‘In’ Crowd

Bitly

Otis Redding – Otis Blue: Otis Redding Sings Soul

Otis Blue / Otis Redding Sings Soul
Otis Blue / Otis Redding Sings Soul

The Temptations – The Temptin’ Temptations

Bitly

ワンポイント・ウンチク

『隔離された音楽』―「レイス」と「オールドタイム」

1880 年代から 1920 年代にかけて、音楽は人種の境界線をはっきりさせていきました

当時は、白人と黒人が買い物をする店は人種隔離政策によって分かれており、白人と黒人が利用できる音楽も区別されていました

『ブルースはアフリカ系アメリカ人のためのもの』『農村地帯の南部白人は後にカントリーと呼ばれることになる音楽』

1920 年代になって、マミー・スミスの「クレージー・ブルース」のヒットとともにレコード業界は

◆ 南部系音楽を黒人系の「レイス・レコード」

◇ 白人系の「オールドタイム(ないしヒルビリー)・ミュージック」

1920年8月8日にリリースされたマミー・スミス「クレージー・ブルース」は数週間で、黒人集住地区ハーレムを中心にして 75,000 枚のレコードを売り上げ、さらにシカゴやフィラデルフィアでも売り上げを伸ばし、これまで注目されなかった『北部都市の黒人市場の有望性』が表面化したのは事実です

黒人の成長著しい大衆音楽産業において、事実上のジム・クロウ法を破ることになりました


オーケー・レコード(Okeh Records)

「レイス・レコード」という用語は、蓄音機サプライヤーが母体のオーケー・レコード(Okeh Records)によって造られたそうです

後に名称は「OKeh」に変更され、1926年以来Columbia Recordsの子会社になります


音楽産業側は戦略的な『ジム・クロウ法』に沿った市場の分断による売り込みを進め『人種』の分断を更に深める手法をとります

レコード大手会社は シリアル・ナンバーもカタログも二分させて、各レコード店でもこの分類に従ってそれぞれの曲のレコードがジャンル分けされて売られることになります

企業側のやや強引な分類が「人種」アイデンティティを強化したと同時に、売り込み方も「ジム・クロウ」に沿って両ジャンルで異なるやり方が採用されました

これがさらに「人種」の分断を強化する結果を招いたと言わざるを得ません


ビルボード (Billboard) 

1914年

ビルボードは、 初めて全米のポピュラーソングチャートを掲載

1936年

初めて全米のジュークボックスで流れたヒット曲一覧を掲載

1940 年

ヒット曲のチャートを公開し始める

1945年~1949年

レイス・レコード・チャートを発表

1949年

音楽ですら人種差別的に扱われていることに違和感を感じた編集者のジェリー・ウェクスラー「レイス(人種)を使った名前で呼ぶ時代じゃないだろう」という考えから「レイス・レコード」というジャンル名を廃止して『Rhythm&Blues (R&B)』『R&Bチャート』がスタート

1965年

『R&B albumチャート』がスタートしました

1969年

『R&B』から『ソウル』に呼び方に変更

1982年

『ソウル』を『ブラック・シングルス』『ブラック』『ブラック・コンテンポラリー』という呼び方に変更

1990年

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