はじめに
アメリカのポピュラー音楽は、南部が創り出した多民族性が本質であるが、アフリカから連れてこられた黒人がいなければ出来上がらなかったと言っても過言ではありません
アメリカ音楽を理解するには『黒人の歴史』は絶対に知っておかなければならないと考えます
社会問題、経済変革、テクノロジーの進歩にも目を向けて音楽との相互作用について考察していく前には、奴隷としてアメリカ大陸に強制移住させられた人々の歴史を簡単に振り返っておかなければなりません
アメリカの祖国は英国ではなくヨーロッパ?
1507年
15世紀末のコロンブス以来、ヨーロッパ人が到達した大西洋の対岸にある土地は、アメリゴ=ヴェスプッチ( Amerigo Vespucci:イタリア人)によって「新大陸」であると証明され「アメリカ大陸」といわれるようになりました

● バージニアやカロライナには、イギリス人
● ルイジアナには、フランス人が植民地を築き「開発」は主にイギリス人とフランス人
● ニューヨークやニュージャージーには、オランダ人
● デラウェアには、スウェーデン人
● フロリダには、スペイン人
上記の通り、アメリカへの移民が英国だけではなく他のヨーロッパ諸国からも来ていました
奴隷制の始まり
年季奉公人( indentured servant)
年季奉公人はイギリス国内から買い主が渡航費用を負担してアメリカに渡り、一定期間強制的な労働に服さなければならない制度(一般的には4年年季で奉公。流刑者である場合は年季が7~14年)18世紀に黒人奴隷が大量に導入されるまでの植民地のプランテーションの労働力。彼らは本国の貧困層の白人であり「白人奴隷制」と呼ばれていました
黒人奴隷貿易
1619年8月:オランダの商人によって、タバコ栽培で大量の労働力を必要であったヴァージニア植民地のジェームズタウンに黒人奴隷20人が輸入された(その後の40年間に連れてこられた黒人は300人程度)
1672年:イギリスは奴隷貿易独占会社である王立アフリカ会社を設立し、フランスとの抗争で北米大陸の植民地を拡大しながら、1713年のユトレヒト条約で『アシエント(スペイン領への黒人奴隷供給契約)』を獲得して、アメリカへの黒人奴隷貿易を独占
イギリスは大西洋の「黒人奴隷貿易」と「アジアでのインド植民地支配」の利益を蓄積して『産業革命』を達成
ヨーロッパ諸国の奴隷制廃止
【イギリス】
1807年:奴隷貿易禁止法成立 ~ 1833年:奴隷制度廃止
【フランス】
1794年:国民公会が植民地奴隷制の廃止宣言
【ポルトガル】
1842年:海外領の奴隷貿易を全面廃止 ~ 1888年:奴隷制の廃止
【スペイン領諸地域】主な国(独立年→奴隷制度廃止年)
ベネズエラ(1811年→1854年)、パラグアイ(1811年→1870年)、コロンビア(1813年→1851年)、アルゼンチン(1816年→1853年)、チリ(1818年→1823年)、ペルー(1821年→1854年)、メキシコ(1821年→1829年)、エクアドル(1822年→1852年)、ボリビア(1822年→1826年)、ウルグアイ(1825年→1842年)
プエルトリコ(奴隷制度廃止1873年→アメリカに併合1898年)、キューバ(奴隷制度廃止1886年→独立1902年)
アメリカ独立戦争
18世紀中頃にイギリスがフランスとの激しい英仏植民地戦争を展開
ヨーロッパ本土での七年戦争(1756~1763年)とアメリカ大陸でのフレンチ=インディアン戦争で勝利したイギリスは世界制覇の第一歩を築きます
しかしこの戦争によって、国債などの償還が必要となったこともあり、植民地に対してさまざまな課税を強化
植民地側は、本国議会に代表を派遣していないにもかかわらず、植民地への増税が議会で決められたことに強く反発して対立
【独立宣言】
1776年7月4日:大陸会議でジェファソンが起草したアメリカ独立宣言を全会一致で採決(実質的な『アメリカ合衆国』発足
なぜ?人を『奴隷』にできたのか?
当時、高い教育を受け博愛精神を持つキリスト教徒の白人知識層は「強い道徳観を持つ進歩的な男性たち」であったはずだが、なぜ?人間を『奴隷』にできたのか?
キリスト教徒としては人間には権利があることを認識しているため、人が人を所有するということはあり得ない。そこで、奴隷を持つという行為を正当化するために「黒人を人間ではなく『所有物』として考えた」
アメリカ独立宣言の矛盾
1776年:アメリカ合衆国の独立宣言
「すべての人は平等に造られており、譲ることのできない生命、自由、そして幸福の追求を権利として与えられている」
と述べられているが
「すべての人」の中には黒人奴隷(そしてインディアン)は含まれていなかった
(独立戦争の指導者ワシントンやジェファソンらは自分の農園では黒人奴隷を使役していた)
1787年:アメリカ合衆国憲法(88年発効)
1808年までの奴隷貿易の禁止は盛り込まれたが、黒人奴隷制度そのものの廃止(奴隷の解放)は規定されておらず権利は認められなかった
1808年:奴隷貿易の禁止
奴隷貿易の禁止であり、奴隷制そのものの廃止ではない。アフリカから新たに奴隷を連れてくることは公式にはできなくなったが今いる奴隷はそのままで売買も認められた(南部では黒人奴隷の需要が大きかったのでスペイン船などによる黒人奴隷の密貿易が後を絶たなかった)
【アミスタッド号事件】
「自由州」と「奴隷州」
1819年には22州のうち
北部11州は奴隷制廃止する「自由州」 南部11州は奴隷制度を認める「奴隷州」
新たな州(男性の人口6万で準州から州に昇格する)ができると「自由州」か「奴隷州」かいずれにするかが問題となった
ミズーリ協定
1820年:ミズーリ州が「奴隷州」として合衆国に加盟したとき、北部のマサチューセッツ州からメイン州を分離して「自由州」を増やし、同時に北緯36度30分以北には新たな奴隷州を造らないという妥協した協定が成立
1850年の妥協
1848年:アメリカ=メキシコ戦争でカリフォルニアなどを獲得して、1850年にカリフォルニアが州に昇格したときは「自由州」とするかわりに『逃亡奴隷取締法』を強化するという妥協が成立
ミズーリ協定の否定
1854年:民主党議員の提案による『カンザス=ネブラスカ法』が議会を通過して成立したことで「自由州or奴隷州」を住民が選択できるとなったため、ミズーリ協定は効力を失った
二大党派の対立が始まる
『カンザス=ネブラスカ法』に反発した北部の「奴隷制拡大反対論者」が共和党を結成して、奴隷制の拡大を認めるかどうかを巡って二大党派の対立が始まることとなった
1857年:連邦最高裁判所が「ミズーリ協定を憲法違反」とし「自由州での奴隷所有」を認めた判決(ドレッド=スコット判決)
1861年:南北戦争勃発(~1865年)
4年にわたる激戦の結果、北軍が勝利し南部の分離は実現せず、アメリカは統一国家として存続
ミンストレル・ショー(Minstrel Show)
ミンストレル・ショーは、19世紀のアメリカにおける最大の商業娯楽
焼きコルクで顔を黒塗りにした白人の芸人たちが、黒人の会話やユーモア、歌やダンスの物真似をするショー(黒人に対する軽蔑と揶揄をあからさまにしたもの)
皮肉にもアメリカが抱える『奴隷制度』という問題が、アメリカ・オリジナルな大衆芸能を生みだす基盤となります
ミンストレル・ショーの俳優の1人が『ジャンプ・ジム・クロウ』という歌にふざけた踊りをつけて「ジム・クロウ」というキャラクターを作り出しました
白人扮する滑稽な黒人の奇妙な姿や歌は当時の観客に非常に受けがよく、特に白人の中でも貧しかった労働者階級の人々に広く受け入れられていきました
自分より下の人間を見下して楽しむという『差別意識』が根底にあったのではないでしょうか?
【黒人のステレオタイプ化】
日常的に黒人と間近に接したことがなかった白人たちにとっては
【愚かで無知なジム・クロウ】=【典型的な黒人の姿】
という思い込みにつながります
南北戦争後、黒人たちがショー・ビジネスの世界に進出してきたときには、白人社会に受け入れられるために、わざわざ褐色の素顔を黒塗りにして、白人が作った黒人のイメージを模倣しなければなりませんでした
結果として南北戦争は何を生み出したのか?
✅ 国家の経済基盤が北部中心の工業力に移り「アメリカの産業革命」がさらに進展
✅ 黒人奴隷制度は廃止されたが、現実には新たな『黒人差別問題の出発点』となった
奴隷解放後の黒人の大半は、自分の土地を持てずに小作農になりました。そこで自由に思いつくまま歌うスタイルで 厳しい生活を一時忘れるための逃避の手段として『ワーク・ソング(Work Songs)』『フィールド・ハラー(Field Hollers)』という即興歌が時代を経て『ブルース』という音楽形式になっていった
南北戦争に負けた南軍の軍楽隊の楽器が、安い値段で売られるようになって貧しい黒人でも管楽器など手に入れる事ができるようになったことで『ジャズ』という音楽の創造に繋がっていった
アメリカ音楽の流れ(~1920年代)

黒人霊歌
黒人霊歌は、奴隷状態に置かれていた黒人奴隷の共同体の中から誕生した固有の宗教歌
強制的に連れてこられた黒人奴隷がキリスト教だったわけではないでしょう
① プランターは、黒人奴隷にキリスト教の宗教指導をすることで従順になって働くと考えた
『大覚醒』:1740年前後と1800年前後の2回にわたってキリスト教を広める一大運動
『キャンプ・ミーティング』:野外伝道集会が各地で開催された信仰心の覚醒をうながす信仰復興運動
プランターたちは、奴隷たちが団結して暴動を起こすことを恐れて次の項目を禁止した
「読み書きを習うこと」「居住地から勝手に外にでること」「奴隷だけで集会をもつこと」「アフリカの呪術的行為」「太鼓を叩くこと」など
② 文字文化をもたないアフリカでは信仰・文化は口頭伝承で受け継がれていった
キリスト教の布教活動は、プランター(白人)の気持ちとは逆に、黒人を目覚めさせと考えられます
『見えない教会(Invisible Church)』
黒人奴隷は夜遅く、プランテーションの奥にある「ハッシュ・ハーバー(Hush Harbor)」にこっそり集まり行った礼拝集会
白人たちの「祈りの言葉」「賛美歌」を即興的に感覚で黒人化させていったと想像できます
アフリカ元来の宗教は『踊る宗教』『歌う宗教』で、多様なリズム(シンコペーションなど)・チャント(唱和)・コール&レスポンス・シャウトなどで行われていて、これがアメリカン・ルーツ・ミュージックの形式になったと考えられます
③ 『黒人霊歌』のスピリチュアルな歌詞は黒人同士の『暗号』でもあった
『地下鉄道』と呼ばれる黒人奴隷を北部への逃亡を手助けする秘密のネットワークが存在していて、その活動を支援していたのは北部の黒人教会です

ワーク・ソング
プランテーションなどで働きながら、その作業のリズムを保って能率をあげたり、単調な作業から気をまぎらし士気を鼓舞するために歌う作業歌
フィールド・ハラー
一人で労働に従事している時、あるいは集団の中でも共同作業でなく個人的に作業している時に即興的に歌われたもの(労働から離れて、気晴らしに歌われることもあった)
まとめ
「道徳」は『部族主義』と深いかかわりがある
哲学者:ジョシュア・グリーンは著書『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上・下)』で次のように論じています
「道徳判断」を左右するものは、私たちの心に根差す『部族主義』
『部族主義』:「自分の仲間かどうかを直観的に判断して 仲間だと認めた者を贔屓する」という人間が社会的な動物として生き残るために進化的にそなわったものです
人間は「理性」よりもまず「感情」が反応することが分かっていて「道徳的判断」においても「感情」が大きな役割を果たしています
自集団は「美徳」で他集団は「悪徳」とする『道徳感情』

人を奴隷として使うことが「道徳的」に許された歴史が教えてくれたこと
『先入観』『偏見』そして『差別感』は【環境(部族主義)】に依存していることで、増長することにもなり、抑制することにもなります
【潜在意識】から生まれる『各種バイアス』
多種多様の人々の活動範囲が急拡大した現代社会においても、時として特権階級や数字しか見ないエリートも『部族主義』によって『道徳感情』に抵触する『功利主義(最大多数の最大幸福)』的判断を簡単に下すのかもしれません
追記
アメリカにおける黒人の歴史は、壮絶な『差別』との闘いであり「分断」「挫折」「葛藤」なども含む反骨精神は【音楽】という形式で表現されてきました
【音楽】は我々に深い理解を与えてくれ、様々な「問いかけ」をしてくれる『世界共通言語』です
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