アメリカ音楽史で考えるダイバーシティ⑧(マイルス・デイヴィス伝説Ⅰ)

ビジネス

If you sacrifice your art because of some woman, or some man, or for some color, or for some wealth, you can’t be trusted.

女や男、肌の色、富などを理由に自分の芸術を犠牲にするのなら、君は信頼されない

マイルス・デイヴィス名言

マイルス・デューイ・デイヴィス三世(Miles Dewey Davis III)

1926年5月26日アメリカのイリノイ州オールトンに生まれ。その後すぐに東セントルイスに引っ越す。父親は歯科医、母親は音楽の先生。2つの歯科病院を開業、農場を持つという非常に裕福な家庭で育つ

1944年:マイルスが18歳の時に、セントルイスにビリー・エクスタイン楽団がやってきて、そこでマイルスは病気のメンバーの代役を務めることになり、楽団のメンバーだったディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーと共演

この経験からマイルスはニューヨーク行きを決意

『ビ・バップ時代』~『アンサンブルを重視したクール・ジャズ時代』~『ビ・バップとクール・ジャズの要素を両方吸収したハード・バップ時代』~『音階に基づく演奏法のモード・ジャズ時代』~『エレクトリック時代』

マイルスはモダンジャズの世界で『帝王』と呼ばれてきました

特にジャズという音楽にこだわった場合、マイルスだけを聴いていれば、その他のジャズはほぼ全面的に必要ない

引用:中山康樹著『マイルスを聴け』
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マイルスのアルバムを時代を追って聴けば、自然にジャズ・スタイル変遷の歴史がたどれ、同時にサイドマンであるジャズ・ジャイアントたちにふれられる

引用:後藤雅洋著『マイルスからはじめるJAZZ入門』
Bitly

マイルスがビ・バップ以降のジャズの世界での中心人物であったことは誰もが認めるところです

マラソン・セッション

1955年7月17日

マイルスはニューポート・ジャズ・フェスティバルに飛び入り参加して♪Round Midnight♪を演奏します。このステージは伝説的名演だと語られていて、この時の音源は「ニューポートのマイルス・デイビス1955-1975:ブートレグ・シリーズVol.4」に収録されています

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その後、大手レーベルのコロンビアからの契約オファーを受けます

コロンビアと契約したマイルスは「オリジナル・クインテット(ファースト・クインテット)」と呼ばれるバンドを結成してコロンビアでの録音を行います。

【Personnel】:Miles Davis – trumpet、John Coltrane – tenor saxophone、Red Garland – piano、Paul Chambers – double bass、Philly Joe Jones – drumset

しかし、プレスティッジとの契約が残っていたために、コロンビアでの一作目『ラウンド・アバウト・ミッドナイト(Round About Midnight)録音:1955年10月26日-1956年9月10日』はすぐには発売されません。

そこでマイルスは、プレスティッジとの契約解消のために、1956年5月11日と1956年10月26日の2日間で4枚のアルバムを制作します

これが「マラソン・セッション」と呼ばれているものです

『Cookin’』:1957年リリース(この作品だけは全て10月26日録音)

『Relaxin’』:1958年リリース

『Workin’』:1959年リリース

『Steamin’』:1961年リリース

Round About Midnight

コロンビアへの移籍第一弾で商業的に成功しマイルスのイメージを形作る作品

一曲目の”Round Midnight“の録音は、ジャズの中でも最も有名なものの一つ(セロニアス・モンク作曲)で、マイルスのバージョンはギル・エヴァンスのアレンジを元にしたものだと言われています

モダン・ジャズ全盛期のアメリカ社会の闇

1950年代のアメリカにおける『ジャズ』の影響は非常に大きく、多くの人々に愛される音楽ジャンルとなっていました。

『ジャズ』は、アフリカ系アメリカ人の音楽家が自分たちの文化や伝統を表現するための手段として重要な役割を果たすととも、アフリカ系アメリカ人にとって自己肯定感やアイデンティティの強化につながったとされています。

多くの白人聴衆によっても支持されるようになっていったことから、アメリカ社会における人種や社会的地位に関係なく人々を繋ぎ合わせる音楽として非常に重要な役割を果たしたことは確かですが、、、

白人社会の中でのマイルスの評価は、一般的には「非常に才能ある音楽家」として高く評価されていました

しかし、そんなマイルスでさえ、アフリカ系アメリカ人であることだけで残念ながら何度も「人種差別」や「偏見」にも直面しました


マイルスは、ギル・エヴァンス・オーケストラとの共演一作目となるコロンビアの予算を贅沢に使った19人編成のオーケストラ・アルバム『Miles Ahead』の録音を行います

このアルバムでは白人社会向けマーケティングが行われ、当時のライナーには「マイルスは新人」と扱われています

そしてアルバム・ジャケットは2種類あり、当初は「船の上の白人女性」というものでした

この件に怒ったマイルスは、ジャケットをマイルス自身の写真に差し替えさせます


当時のアメリカは「白人と黒人」の区別が厳密にされていた時代です

黒人ミュージシャンたちは白人と同じクラブやコンサートホールで演奏することができず、黒人専用のクラブやホールでの演奏が多かったとされています。

また、白人ミュージシャンたちは、黒人ミュージシャンたちが演奏する場所には入ることができても、黒人ミュージシャンたちが白人が多い場所に演奏することはできない場合がありました。

録音や放送においても、黒人ミュージシャンたちは白人ミュージシャンたちよりも不利な扱いを受けていて、レコード会社や放送局は黒人ミュージシャンたちには契約を結ばないことが多く、黒人ミュージシャンたちの演奏を流すことに消極的でした

そのため黒人ミュージシャンの音楽が広く知られることはなかなかありませんでした。

黒人ミュージシャンたちは、より低いギャラで演奏することを余儀なくされる場合が多く、白人の音楽プロデューサーやマネージャーによって、自分たちの音楽性を変えさせられることもあったそうです

Ascenseur Pour L’Echafaud

ルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」のサウンドトラックとしてパリで制作されたアルバム

1940年代後半にマイルスが初めて渡仏時に、恋仲になったジュリエット・グレコの仲介によってフランス滞在中のマイルスにこのレコーディングがオファーされました

マイルスが『映画を見ながら即興で録音した』という伝説があります(実際は事前に準備していたという噂もあります)

「映画の音楽は初めてだったから、ものすごく勉強になった。ラッシュ・フィルムを見ながら、即興で作曲するアイディアを得たからだ。殺人がテーマのサスペンス映画だったせいか、すごく古くて暗い、憂鬱な感じのする建物で演奏した。これなら音楽に雰囲気を与えてくれると思ったが、確かにそれは効果的だった。誰もが、その映画音楽を気に入ってくれた。」

引用:マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ p.360

モード奏法への挑戦

マイルスは、従来のジャズの和声進行に対する限界を感じていました。

より自由で開放的な音楽への新しいアプローチを模索していたところ、ジョージ・ラッセルという作曲家・編曲家との出会いが大きな影響を与えます

ラッセルは、1950年代に発表した著書「The Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization」において『モード奏法に関する新しい理論』を展開しました。

マイルスはこのアプローチに大きな共感を抱きます。(ビル・エヴァンスも彼のアイデアに共感した一人です。)

Milestones

オリジナル・クインテットのメンバーを呼び戻し、キャノンボール・アダレイを加えたセクステットでマイルスが初めてコードよりも音階が主体となるモード奏法を用いたアルバム『Milestones(1958年録音)』を制作します

“Milestones” “Sid’s Ahead” がモードで作られた曲だと言われています

Somethin’ Else

キャノンボール・アダレイの名義ですが、実質はマイルスのリーダー作で、1954年以来となるブルーノートでの録音(1950年代初期にマイルスを救済したアルフレッド・ライオンへの恩返しと言われています)

スタンダード曲“Autumn Leaves”(枯葉)は名演とされており、アルバムは『ジャズのトップクラスの名盤』として評価の高い作品です

Porgy & Bess(録音1958年 リリース:1959年)

作曲家ガーシュインの黒人文化を元にしたオペラに取り組んだギル・エヴァンス・オーケストラとの共演ニ作目

リリース以来多くの批評家の称賛を集めている歴史的に重要なアルバム

ビル・エヴァンスとの出会い

「ビル・エヴァンスという新しいピアニストを見つけた。白人だった。レッドに腹を立たていたわけじゃないが、バンドのサウンドとしてオレが求めていたことは、既にレッドのできる範囲を越えていた。モードができるピアニストが必要で、それがビル・エヴァンスだった。」

引用:マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ

1958 Miles

日本独自の編集アルバム『1958マイルス』は、1955年10月26日と1958年5月26日に録音されたものです。

1958年の録音時には、ピアノが レッド・ガーランドからビル・エヴァンス ドラムが フィリー・ジョー・ジョーンズからジミー・コブに変わります(ジャケット・デザインは池田満寿夫)

1958年7月3日:ニューポート・ジャズ・フェスティバル

アルバム「Kind of Blue(カインド・オブ・ブルー)」の時のメンバーで出演します

この年のフェスティバルを映画化したのが『真夏の夜のジャズ』です

残念ながらデューク・エリントン&ヒズ・オーケストラとマイルス・デイヴィス・クインテットはライブは映像化されていません

エヴァンスがマイルスのグループにもたらした影響は大きく、一段と深みとデリケートな美しいサウンドに進化しますが、エヴァンスは 僅か7カ月でグループを脱退します

エヴァンス脱退の理由は諸説あるようですが、ジョン・コルトレーンの「いじめ(白人に対する逆差別)」という噂もあります

私の想像にすぎませんが、職場に例えると

エヴァンスは他業界からヘッドハンティンされてきた「仕事が出来る人」で、コルトレーンはエヴァンスの実力を認めながらも新参者がちょっと気に入らなかったので「いじめた」って感じと思っています

「ビルがバンドを去る原因になったいくつかの事柄に、オレは本当に腹を立てた。たとえば、バンドにいるたった一人の白人というだけで、何人かの黒人連中がした仕打ちだ。ジャズ界最高のバンドで、ギャラも最高なんだから、黒人のピアニストを雇うべきだなんて考えてる野郎がたくさんいたんだ。もちろん、オレはそんなことにかまっちゃいない。いつだって最高のミュージシャンが欲しいだけだ。黒だろうが白だろうが、青でも赤でも黄でも、なんだっていい。」

引用:マイルス・デイビス自叙伝Ⅱ p.27

20世紀のジャズが到達した最高峰”アルバム『Kind of Blue』

レコーディングは コロンビア・レコードのニューヨークの30丁目スタジオで2日間で行われました

【Session1(1959年3月2日)】

スタジオには、レギュラーのウィントン・ケリーと4カ月前に解雇されたビル・エヴァンスの二人のピアニストがいます

ジョン・コルトレーンはレコーディング前にマイルスに、グループ脱退の意向を伝えていたとも言われています

そんな異様な緊張感の中でマイルスは普段通りにクール

何を演奏するかを示唆した“草案(sketches)”をメンバーに渡して簡単な打合せをして最初に録音する曲として「Freddie Freeloader」を指定

ピアノはウィントン・ケリー

1発でOK マイルスの指示でウィントンはスタジオから去ります

ピアノはエヴァンスに変わり、ここからがモード奏法へのトライアル

「So What」「Blue in Green」を録音 1テイクOK

【Session2(1959年4月22日)】

「All Blues」(1テイクOK) 
「Flamenco Sketches」(2テイク アルバム収録は2テイク目)

5曲全て 事前の熟考や擦り合わせのない 出たとこ勝負のガチセッション

ライナーノーツ

本作のライナーはエヴァンスが担当し、バンドの音楽の方向性を水墨画を例に出して解説しています

There is a Japanese visual art in which the artist is forced to be spontaneous. He must paint on a thin stretched parchment with a special brush and black water in such a way that an unnatural or interrupted stroke will destroy the line or break through the parchment. Erasures or changes are impossible. These artists must practice a particular discipline, that of allowing the idea to express itself in communication with their hands in such a direct way that deliberation cannot interfere.

ここにひとつの日本絵画がある。その絵画において、描き手は、無意識であること、自然であることを強いられる。ごく薄くのばされた紙に、特別な筆と黒い水を使って描いていくその絵画では、筆運びが少しでも不自然だったり失敗したりすれば、たちどころに線は乱れ、紙は破れてしまう。そこでは、もはや消去や修正は不可能なのだ。描き手は、特別な鍛錬を積まねばならない。自らの手と交感しながら、頭の中に生まれた着想を瞬時に紙の上に定着するために必要な特別な鍛錬を。

The resulting pictures lack the complex composition and textures of ordinary painting, but it is said that those who see well find something captured that escapes explanation. 

その結果生まれる絵は通常の絵画と比べて複雑な構成や質感を欠くが、見る人が見れば、説明の要らない何かを捉えていることが分かるという

引用:アルバム『Kind of Blue』ライナー「Improvisation In Jazz」 by Bill Evans

So What

レコーディング・スタジオには、マイルスによって音階のみが書き込まれた楽譜が持ち込まれました。

マイルスの口癖を曲名にした”So What”で使われるコードは2つのみ。その上で旋律主体のソロが繰り広げられます

「モード奏法(Modal Jazz)」とは

「モード奏法」:特定の『音階』を基にして構成された音楽スケールのこと

『音階』:音の高さが一定に増加するように並んだ音の集まりのことで様々な種類があります

代表的なものは以下の通りです


【メジャースケール(長音階)】

西洋音楽において最も基本的な音階で、8つの音から構成されます。Cメジャースケールの場合、C-D-E-F-G-A-B-Cとなります。

【マイナースケール(短音階)】

メジャースケールと同様に8つの音から構成されますが、3番目と6番目の音を半音下げた音階です。Aマイナースケールの場合、A-B-C-D-E-F-G-Aとなります。

【ペンタトニックスケール(五音音階)】

5つの音から構成される音階で、民族音楽やブルース、ロックなどでよく使われます。Cペンタトニックスケールの場合、C-D-E-G-A-Cとなります。

【クロマティックスケール(半音階)】

12の半音から構成される音階で、西洋音楽において半音階的な音を扱う際に使われます。Cクロマティックスケールの場合、C-C#-D-D#-E-F-F#-G-G#-A-A#-Bとなります。

【和声音階】

和音を構成するために用いられる音階で、主に西洋音楽において使用されます。メジャー、ナチュラルマイナー、ハーモニックマイナー、メロディックマイナーなどがあります。

【異国の音階】

世界中には様々な伝統音楽や民族音楽があり、それぞれに独自の音階が存在します。例えば、日本の音階である琉球音階や平調、インドの音階であるラーガなどが挙げられます。


『音階』の上に構築された「モード(旋法)」は、西洋音楽においては通常7つの種類があります。

それぞれの旋法は、起点となる音(「トニック」と呼ばれます)と、その音を基準にして『音階』上での音程のパターンによって定義されます。

【イオニアン(メジャー)】

西洋音楽で最も一般的に使われる旋法で、メジャースケールとしても知られています。音程のパターンは、ハーモニックな進行や明るい雰囲気を持つため、ポピュラー音楽やクラシック音楽の主要なキーとして広く使われています。

【ドリアン】

イオニアンに比べややマイナー調の旋法で、民俗音楽やジャズなどで使われることが多いです。音程のパターンは、明るさと暗さの両方を持っており、しばしば神秘的な雰囲気を演出するのに使われます。

【フリジアン】

ドリアンよりもさらにマイナー調で、その音階のパターンによって独特の民族音楽的な響きを持っています。クラシック音楽やロックミュージック、フュージョンジャズなどで使用されることがあります。

【リディアン】

イオニアンよりも明るく華やかな響きを持ち、主にジャズ音楽で使用されることが多いです。クラシック音楽でも時折使われます。

【ミクソリディアン】

イオニアンに比べややマイナー調で、その音階のパターンによって、民俗音楽やブルース、ロックミュージックなどで広く使用されています。

【エオリアン(ナチュラル・マイナー)】

一般的に「ナチュラル・マイナー」として知られるマイナースケールで、しばしば悲しげな雰囲気を演出するのに使われます。クラシック音楽やポピュラー音楽の中でも頻繁に使用されます。

【ロクリアン】

最もマイナー調に近い旋法の1つで、音程のパターンは、全体的に暗く不安定な雰囲気を持ち、しばしば不協和音的に聞こえるため、一般的に使用されることは少なく、主にジャズやフュージョンなどの特定の音楽ジャンルで使用されます。

マイルスのモード奏法によるイノベーション

「So What」は、ドリアン・モード(Dドリアン)を使用しています。

『Kind of Blue』でのマイルスのモード奏法は、和声進行に頼らずに旋律を生み出し、音色の変化を取り入れることで、非常に自由な演奏を実現しました。

従来のジャズは、主に西洋音楽のルールに従い特定の和声進行を使用することで曲の構造を構築していましたが、「モード奏法」によって和声進行に縛られずに自由な旋律を演奏することを可能にしました

このアプローチは、ジャズに限らず、ロックやポップスなどの音楽ジャンルにも大きな影響を与えました

イノベーションとは『新しいアイデアや技術・方法を取り入れて新しい価値を生み出すこと』

マイルスがモード奏法を用いることで、従来のジャズの和声進行を超えた音楽性を生み出し、ジャズやその後の音楽シーンに大きな変革をもたらしたことは正にイノベーションです

このようなイノベーションを生み出すには『アート思考』が非常に重要だと考えられます。

『アート思考』とは「創造的で革新的なアイデアを生み出す思考法」であり、新しい視点や発想、試みを尊重する思考法です。

マイルスの音楽的な挑戦を通じて『アート思考』を実践し、新しい音楽性を生み出すことができたのです。

白人警官によるマイルス・デイヴィス殴打事件

1959年8月25日

マイルスは、ニューヨークの54番街と6番街の交差点に差し掛かったタクシーの中にいたところ、白人の警官に襲われるという事件が起こりました。

諸説ありますが、当時のマイルスが交際していた同乗中の白人の女性(ジュリー・カウシャル)に対して冗談で「もし俺がお前をここで降ろしたら、白人の男が来るまでここで待っているように気をつけろ」と言ったことが事件の発端のようです

この話を耳にした白人警官がタクシーを止め、マイルスに対して暴言を吐き、顔面を殴りつけます(マイルスは顔面に重傷を負い、前歯を2本失います)

この事件は、ニューヨーク・タイムズ紙や他のメディアで大きく取り上げられ

人種差別と警察の権力乱用についての問題を再び浮き彫りにしました。

証拠がないため真相ははっきりしていませんが、当時のアメリカでは、黒人男性が白人女性と一緒にいること自体が社会的に不快感を抱かれることが多かったため、事件が発生した背景には、このような文化的背景があったと考えられます。


この事件により、マイルスはしばらくの間演奏活動の休止を余儀なくされます。

マイルスは後に

「自分が女性に対して言った言葉が警官に注意を引いたのではなく、単に警官が自分がが黒人であることを理由に攻撃した」

と語っています


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