「LGBTQ+運動」の起源の一つ『ストーンウォールの反乱』

オッサンの主張
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「ディスコ」発祥の地はフランス

生演奏の代わりにDJの選んだレコードを流して客に躍らせるナイトクラブのことを『ディスコテーク(Discothèque)』と呼んだのが始まりです。

アメリカには1960年代に上陸しましたが、当初はニューヨークの富裕層御用達の特別な社交場でした。

60年代後半~70年代初頭、ニューヨークやロサンゼルスなど大都市圏に住むゲイや黒人そしてラティーノといったマイノリティ向けのアンダーグランド・クラブ・シーンから、DJがプレイする軽快なミュージックで踊り明かすようになっていきました。

ウーマンリブ運動によって、女性たちは社会進出を果たし、男性と同じように自由に遊び、楽しむことを求めるようになりました。

そして、ディスコはそのような女性たちが気軽に遊べる場所として注目され、人気を集めるようになったと言われています。

また、女性たちはゲイ・クラブを利用することで、男性との危険な出会いを避けることができたという側面もあったと思われます。

ディスコ・ブームは、女性たちの社会進出や性別による差別意識の変化、そして多様な人種や性的指向の人々が共存する都市の空気が作り出したものと考えられます。

ストーンウォールの反乱【1969年6月28日から7月3日にかけて】

当時、同性愛者は社会的に差別され、抑圧されていました。

同性愛は病的なものと見なされ、法的にも禁止されていて、同性愛者は警察によって頻繁に摘発され、差別的な扱いを受けていました。

1969年6月28日の夜、ゲイバー「ストーンウォール・イン」に、突然警察が踏み込み、同性愛者たちを逮捕しようとしました。

同性愛者たちはこの逮捕に反発し、暴動が発生しました。

警察官たちは催涙ガスやバトンを使って対抗し、店舗を破壊するなどの暴力行為に及びます

同性愛者たちは集会やデモを行い、同性愛者の権利を求める運動が始まりました。

これが、LGBTQ+の権利を求める「LGBTQ+運動」の起源の一つとされています。

「ストーンウォールの反乱」は、同性愛者の権利や社会的地位を向上させるための闘いの始まりとなり、世界中でLGBTQ+の人々が自己表現や権利獲得のために闘うきっかけとなりました。

【デヴィッド・マンキューソ(David Mancuso)】

デヴィッド・マンキューソは、ニューヨークにおいて、1970年代初期からディスコ・ミュージックのパーティーを開催し、現代のDJ文化を確立させた先駆的なDJの一人。

彼は、自宅をパーティー会場として、数十人から数百人程度の人々を集めて、ディスコ・ミュージックを中心に様々な音楽をかけ、踊り明かす「ロフト・パーティー」と呼ばれるイベントを定期的に開催していました。

音楽の選曲や演出に独自の手法を取り入れ、音響設備にもこだわり、パーティー参加者たちが音楽に身を任せ、共感しながらダンスを楽しめる空間を作り出し、音楽体験のコミュニティを形成することを目的としました。

1973年、アフリカのサクソフォン奏者、マヌ・ディバンゴのアフリカン・ビートSoul Makossaを発掘し、ラジオDJではなく初のダンスフロア・ヒットを生み出しました。

音楽業界でのヒット曲が生まれる潮流が、ラジオDJからクラブDJへ移り、アップテンポのソウル・ミュージック(ディスコ・ミュージック)がブレイクするようになっていきました。

【12インチ・シングル】

当時の急速なディスコ・ブームで、DJたちは、より長い時間音楽をかける必要性を感じるようになりました。7インチ・シングルは、曲の長さが3〜4分程度で、DJがプレイするのには短すぎました。

そこで、DJたちはアルバムから曲を引用して、自分たちが演奏するために、さまざまなトラックをつなぎ合わせた独自の長いヴァージョンを作り出すようになっていきます。

こうした状況の中で、レコード会社は、DJたちのニーズに合わせて12インチ・シングルの生産を開始しました。この動きが、ディスコ・ミュージックの市場を拡大させることになっていきました。

【ディスコ・デモリション・ナイト(Disco Demolition Night)】

1979年7月12日のシカゴのコミスキー・パーク(野球場)で、MLB公式戦2試合開始前に、ディスコ・レコードを持ち込んで、爆破するというイベントです。

レコードを持ってきた人は、98セントで入場可能で、予想を上回る5万人以上の人々が押し寄せました。

DISCO SUCKS という横断幕が掲げられる中、グラウンド中央にディスコ・レコードが集められ爆破。

興奮した観客はグラウンドに流れ込み、多数の人々が怪我をし、数百人が逮捕されるという暴動へ発展します。

「ロック大好き、ディスコ大嫌い」といった感情だけでなく、ディスコ・ミュージックが、LGBTQ+コミュニティや黒人コミュニティで人気だったこともあり、一部の保守層からは、その文化やライフスタイルが不道徳であると非難され、社会秩序が乱れたといった、反動的な感情が背景にあったのかもしれません。

この事件で、ディスコは大打撃となって、ブームが下降線をたどることになりました。

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