日本人フォトグラファーのSAP CHANO氏の写真集「Yohji愛したサプール」を ご存知でしょうか?
この写真集で紹介されているサプールは コンゴ民主共和国の首都(キンシャサ)に存在した人々のファッション
まずは こちらの動画をご覧ください
カラフルな色の服装に身を包んでいるサプールには 抵抗感のあった中高年メンズも モノトーンを基調としたファッションならば 取り入れやすいのではないでしょうか?
サプールの起源は?
”サプール”の起源は 1922年 フランスから戻った社会活動家アンドレ・マツワであると言われています
コンゴ共和国の首都(プラザビル)に アンドレ・マツワが パリの紳士の正装姿で現れ コンゴ人たちの賞賛び 自分たちの平和信仰を「ファッション」と結びつけて表現することになった説が有力視されています。
それ以降アフリカ人独特の色彩センスが加わり コンゴ人の文化として定着していきました。
2つのコンゴ
2つのコンゴとアンゴラ北部のエリアは15世紀頃まではコンゴ王国という一つの国でした
ポルトガルによる征服を経て 1960年に
フランス領からコンゴ共和国
ベルギー領からコンゴ民主共和国(1971年に国名がザイールに変わり1997年にまた今の国名に)
が独立しました
コンゴ共和国の首都ブラザビル と コンゴ民主共和国の首都キンシャサは コンゴ川を境目にして船で10分で行き来できるほど近い2つの首都なんです
コンゴ共和国(首都:プラザビル)
Yohji Yamamotoが広がっていった理由
キンサシャ出身のミュージシャン パパ・ウェンバ の影響が大きい
モブツ大統領の独裁政権下 国民服を着るよう強制されたにもかかわらず パパ・ウェンバは Yohji Yamamotoを纏ってステージに立ち続けました
モブツ大統領は パパ・ウェンバを逮捕しようとしたが 彼の人気と影響力を考慮して 厳重注意に留めたことで このことを契機に Yohji Yamamotoを纏うサプール文化が広まっていったそうです
この流れで Yohji Yamamoto は コンゴ人(特にコンゴ民主共和国)の自由や平和の象徴となっていたのです
コンゴ民主共和国(首都:キンシャサ)
サプールの変化
約1000万人が生活するコンゴ民主共和国の首都キンシャサ
世界の貧困国の一つに挙げられるコンゴ民主共和国も 大半の人びとが日々を生きるのにやっとの苦しい生活をしています
そのうち数千人の人びとが 自他共に認める「サプール」 自称「サプール」が存在していて 彼らの服装は 世界各地に散らばったコンゴ移民からもらった”お下がり”が多いそうです
しかし昨今は 国外居住者の多くも経済的に苦しい生活を送っていて 故郷の人々に服を送るための資金も工面できなくなってきたので サプールたちは リサイクルショップで服を買ったり、ヨウジヤマモトの服と自分が作った服を組み合わせたりするように変化していき
「ZARA」など服に転向する人も 自分でブランドを始める人たちもいます
<2014年3月11日AFP通信より引用>
ビジネスマンも取り入れたい着こなしの流儀
取り入れやすいコーディネートとしては
スーツが黒で シャツが白なら ネクタイは赤系が基本
靴下 ポケットチーフなどの小物を合わせる その場合は 2つずつ同じ色にする
例えば
色合わせに 人と違うひと工夫を加える
中高年ビジネスマンは
黒とか紺とか濃い色の2色でコーディネートしている人が多い
濃い色に合わせて 鮮やかなもう1色を足す
こうすると ビジネスでスーツも 華やかになります
中高年メンズも 是非 ファッションを楽しんでください
最後までお読みいただきありがとうございました。
“豊かさ”とは?
物質的な“豊かさ”ではない。自分を信じて、他人に迷惑をかけずに「希望」を持ち続け毎日楽しく生きていくこと
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