ブルースは ニューオリンズに連れてこられた黒人奴隷が持ち込こんだ
- 労働の時に歌うワークソングとフィールドハラー
- 1人の呼びかけに大勢が答えるというコールアンドレスポンス
- 宗教的な内容を持つ黒人霊歌
から発展したものと言われています
ジャズとブルースは兄弟として育っていった
と言っていいでしょう
『ジャズは アメリカ・ルイジアナ州の港町、ニューオリンズで1900年頃に誕生した』
とのが定説されていますが
ブルースは それより少し古く 1800年代後半にこのあたりで始まった ようですが 定かではありません
ブルースの発祥は?
ブルースは 1865年の奴隷解放によって 食事・睡眠・労働以外の自由な時間を得た黒人たちが
神ではなく自分たちについて歌いだしたのが始まり
というのが最有力説です
そして 黒人が奴隷時代に 労働しながら歌っていた
「ワーク・ソング」
「フィールド・ハラー」
がブルースの起源となっているようです
ワークソング
労働時のかけ声のような感じで歌われていたもの
大勢での作業時にリズムをとるために用いられていたもの
フィールド・ハラ―
一人で労働に従事している時 あるいは集団の中でも共同作業でなく個人的に作業している時(木綿摘みなど)に即興的に歌われたもの
各々が別の場所で働く場で歌われたもので ワークソングと違うのは リズムがないということ
自由に思いつくまま歌うスタイルで 厳しい生活を一時忘れるための逃避の手段でもあった
黒人霊歌
アメリカ大陸に奴隷として連れられてきた黒人が、主に旧約聖書に題材を得て生み出した宗教的な民謡。五音音階の性質を持ったものが多く、シンコペーションの多い独特のリズムの中に、現実からの脱出、来世での希望を歌った。1870年以降、主に合唱形式で歌われて世界に普及
引用:精選版 日本国語大辞典
奴隷時代の黒人には 農園の規則により食事と睡眠以外の時間をほとんど労働に縛られていて、教会で仲間たちとともに 黒人霊歌 を歌う時ぐらいしか 歌を歌うことができませんでした
1865年の奴隷解放によって黒人たちは 多少の自由は得たはずですが 経済的にはそれ以前よりも厳しくなり 再び小作農として雇われていました
しかし 奴隷時代とは違う 仕事を終えた後に個別の自由時間ができたことで
神についてではなく自分たちについて歌う機会が生まれた
そこから 「ブルース」 が生まれることになっていきました
黒人奴隷は 打楽器禁止 弦楽器はOK
19世紀 農園主たちは 黒人奴隷の打楽器の演奏を禁じてしまいました
それは 太鼓の音を暗号として連絡をとりあうのを恐れがあったからだそうです
そのかわり 弦楽器の演奏は大目に見られたため 比較的手に入りやすかったギターによる演奏で 黒人奴隷は 心の慰めを見いだすようになります
こうして アコースティック・ギターが 黒人たちの間で普及していって
ギターの弾き語りスタイルが ブルースの基本
となって 発展していったのでしょう
ブルースの発祥の地はどこか?
ミシシッピ・デルタは ミシシッピ川とヤズー川に挟まれた 綿花畑がどこまでも広がるアメリカ南部を代表する土地のことです
アメリカ各地に広がっていった 多くの黒人たちの 故郷 ともいえる土地です
つまり
ブルース にとっても この ミシシッピ・デルタ地帯 が 発祥の地 でしょう
奴隷解放が生み出したもの
奴隷解放が行われ、黒人たちに自由が与えられるようになりましたが
その反動として
- 南部では黒人へのリンチが激増
- 州ごとに黒人を差別する州法が次々に成立
奴隷制以前よりも 厳しい差別 が生み出されていたのです
奴隷解放が生み出したものは 黒人の人権保証につながったわけではなくて
「黒人差別」「人種差別」だったんです
公民権法の実質無効化
奴隷解放は、安価な黒人労働力を市場に送り込み それで職にあぶれる白人が生まれたことによって 白人の不満・怒りは 解放された黒人に向かって行くことになりました
南部諸州は 憲法規定を巧みに避けて 合法的な黒人取締法を州法によって成立させていき 1870年代後半からは 黒人分離政策が推進されてきます
1883年:最高裁が 1875年に制定された 黒人への公民権保証を実質的に無効化
「アメリカ国民に与えられたいろいろな特権(公民権)は そもそも州の市民にそなわるものであるから これらは黒人の市民権付与を規定した憲法修正第14条の適用は受けない」
1890年:ルイジアナ州では州法で『白人と黒人が利用する列車の車両を分離する』と定めた
これに対して 反人種差別団体が「プレッシー対ファーガソン裁判」と呼ばれる裁判を起こしたが 原告側(プレッシー側)は敗訴
1896年:アメリカ合衆国最高裁判所は『分離すれど平等』の主義のもと
「公共施設での先住民や黒人分離は人種差別に当たらない」
とする事実上人種差別の容認判決を下した
1903年が『ブルースの年』
2003年に ブルース生誕誕生100年としてアメリカ合衆国議会で
1903年が『ブルースの年』と宣言されました
黒人音楽家 W・C・ハンディー (William Christopher Handy)
1903年 黒人音楽家 W・C・ハンディー (William Christopher Handy)は 一人旅で ボロボロの服を着たギター弾きに出会い 彼のギター・プレイと歌に衝撃をうけました
これが 本物のブルース との初めての遭遇
1909年に W・C・ハンディーが メンフィス市の市長の選挙用キャンペーン・ソングとして ♬ミスター・クランプ(Mr.Cranp)♬ という曲を作曲
1912年に ♬ミスター・クランプ♬ のタイトルを ♬メンフィス・ブルース (Memphis Blues)♬ に変更して 正式に自分の曲として発表&楽譜として出版
こうして 世界で初めて ブルース が楽譜として出版されて 世界に広まっていきました
その後も W・C・ハンディーは 数多くの ブルース を発表しました
”サッチモ”こと ルイ・アームストロング の演奏で有名な ♬セントルイス・ブルース♬も 彼が作曲したものです
”ブルースの父”と呼ばれたW・C・ハンディーは楽譜に落としただけ?
W・C・ハンディーの曲は 彼が本当に作曲したのか?という疑問は残り 彼が”ブルースの父”と呼ばれることに対する批判もあります
彼がは発表した曲には 元となる曲があるとも言われていますが それがいつ誰によって作られたのかは明らかではありません
そのこともあって
1903年が ブルース生誕の年 となりました
ブルースとは
ブルースは 19世紀後半に黒人によって創造されたジャンルの音楽
ブルースは 黒人たちの悲しみを表現したもの です
ポール・オリバー著「ブルースの歴史」には
ブルースとは、心の状態であるとともに、その状態に声で表現を与える音楽
と説明しています
黒人音楽研究家のリロイ・ジョーンズは 著書「ブルース・ピープル」で この3つの特徴を挙げています
- ブルースは黒人が初めて完璧なアメリカ語で作った音楽
- ブルースは黒人が初めてソロで歌った歌だった
- ブルースは黒人が初めて伴奏を伴って歌った歌であった
ジャズとブルースの大きな違い
ブルースは ギターで伴奏された歌 が主役
ブルースは 基本的には12小節で構成されています
リズムパターンはシャッフルで はねるようなスタイル
ジャズは 楽器演奏 が主役
ジャズは ブルースだけでなく 西洋音楽やアフリカ音楽なども組み合わせられているので 複雑なリズムパターンもあって はねないスタイル
コードやスケールなども高度に理論化されていて 即興演奏を重視という特徴があります
奴隷解放によって生み出されたモノ
黒人が
- 自らのおかれた理不尽な境遇を歌に託したのが ブルース
- 自らおかれた理不尽な境遇を演奏で表現したのが ジャズ
奴隷解放から公民権運動の盛り上がりをみせた1950年代までの約100年間
ジャズ ブルース をはじめとする 黒人音楽の原型が 完成していきました
皮肉なことに 差別 という 合ってはいけないモノが
最高の音楽ジャンルを創造した
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