2023-06

ファッション

山本耀司ファッションを愛するコンゴ民主共和国の人が京都・東京を闊歩したら?

コンゴ民主共和国は多くの問題を抱えているという事実には驚くかもしれない。世界中で中東の動向が注目されても、アフリカの真ん中で起こっている惨劇に目が向けられることはなかった。メディアが報道しないから人々には知る由もない、というのは当然かもしれない。
オッサンの主張

ご存じですか?内戦が続いたコンゴ共和国(Republic of Congo)

「SAPEUR(サプール)」とは?「SAPE」の信奉者や追随者を指す言葉。サプールというスタイルは、コンゴ共和国出身の人々の非常に独特で洗練されたドレスコードを持つ文化。そんなサプールを生んだコンゴ共和国は、どんな国なのか?
オッサンの主張

知っていますか?平和以外は何でもある世界で最も豊かで貧しいコンゴ民主共和国(~2022年)

1965年、モブツ・セセ・セコは軍事クーデターを起こし、コンゴ民主共和国の大統領に就任。彼の政権下で、コンゴは厳格な一党制を敷き、自身の権力基盤を固めました。 「モブツ主義」または「ザイール化」の時代と呼ばれアフリカ化政策を推進しましたが?
オッサンの主張

知っていますか?平和以外は何でもある世界で最も豊かで貧しいコンゴ民主共和国(1908年~1965年)

暴動と抗議の後、ベルギー当局は独立に向けての対話を開始して、1960年1月には、ベルギー政府がコンゴの独立を宣言しました。独立後、パトリス・ルムンバが初代首相に就任して、コンゴの民主的で非植民地化された未来を追求しましたが?
オッサンの主張

知っていますか?平和以外は何でもある世界で最も豊かで貧しいコンゴ民主共和国(~1908年)

1884年~1885年に開催されたベルリン会議によって、ベルギー国王レオポルド2世の「私有地」として承認されて設立されたコンゴ自由国は、大部分が現在のコンゴ民主共和国の領域と一致します。その後、どれほど残酷なことが起こったでしょうか?
J-Hip

「LGBTQ+運動」の起源の一つ『ストーンウォールの反乱』

当時、同性愛は病的なものと見なされ、法的にも禁止されていて、同性愛者は警察によって頻繁に摘発され、差別的な扱いを受けていました。 1969年6月28日の夜、ゲイバー「ストーンウォール・イン」に、突然警察が踏み込み、同性愛者たちを逮捕しようとしました。